元禄時代、彗星のように現れ、その類い稀な表現力と存在感で世の中をあっと言わせた「現川焼」。
それは、「京の仁清、西の現川」と呼ばれるほどに、とても優れた焼き物でした。
その幻となった秘法を求めて二百年以上もの間、たくさんの人が幾多の挑戦を重ねてきましたが、再現することができませんでした。
この秘法の謎を解き明かし、現代に蘇らせたのが先々代(12代)であり、再現を完全なものに仕上げたのが先代(13代)の横石臥牛兄弟です。
古来より白鷺は「鷺」の文字が示す通り
「路(みち)をひらく鳥」と云う意味をもっており
開運の文様として大切にされてきました。
還暦や米寿などの長寿のお祝い
定年退職や栄転、転勤などの人生の節目や岐路に
”開運”の記念品を贈ってみてはいかがですか?
大切な方が新たな一歩を踏み出す記念に
「臥牛の白鷺」を贈ってあげましょう。
慶長七年(1602年)、臥牛窯の始祖は松浦藩内の大村藩と鍋島藩の藩境にある木原皿山に窯を開きました。
地元で採れる赤土を使い、古来より伝わる刷毛目文様を施した「陶器」。
この頃大陸から伝わった技術で泉山に発見された磁石を使って作る「磁器」。
この相対する両極の技術を有する類稀なる窯元が臥牛窯なのです。
窯元を訪れた松浦藩の初代藩主である松浦鎮信候により“臥した牛に見える窯の形状”から「臥牛窯」と命名され412年もの間、代々伝承を重ね伝統の技を受け継いで来きました。
平成27年2月長崎県知事は平成26年10月に開催された“長崎県国体”開会式等一連行事の為に行幸啓頂いた天皇皇后両陛下には御礼の品として「白鷺文花瓶」が贈られました。
天皇皇后両陛下へ
『白鷺文花瓶』が献上されました。
臥牛窯を代表する白鷺の文様を描いた作品です。
堂々とした風格のある花瓶の器体の上に写真を貼ったかのように手描きされた白鷺。背景の刷毛目技法が表す奥行きのある空間表現も現川焼の技法が活きています。
古来より白鷺は「鷺」の文字が示す通り「路(みち)をひらく鳥」と云うことで開運の意味を持つ吉祥文として大切にされてきました。今回の「白鷺文花瓶」は形状・柄ともに臥牛窯の代表的な作品です。
見た目の美しさもさることながら、普段使いに優れているのが臥牛窯の器です。
素材と焼成に拘り抜いた高い耐久性は、土モノにも関わらず公的機関の耐熱テストに合格!(※長崎県窯業技術センターの耐熱検査)
電子レンジにも食洗機にも安心して使えるので、煩わしい家事の時間短縮にも貢献します。
元禄現川焼の本質は控えめな表現。だから毎日使っても飽きが来ない。
素材と焼成にこだわり抜いた高い耐久性は陶器類最高の強度です。
昭和52年、西武百貨店で運命的な出会いから衝動買いしてしまった臥牛窯の白鷺の湯呑み。
当時はかけ出しOLの私がどうして1万円もする湯呑みを買っちゃったんだろう..と、思っていました。
その後も旅行に行くたびに、別の湯呑みを購入したものの、結局、38年間ずっと口当たりのいい臥牛窯の湯呑みを使い続けていました。
おちついた雰囲気が良かったのか、飽きが来ず、丈夫でずっと使い続けることができるのはすごい!と思いましたね。
ただ、一つだけ残念なことが。38年経ったのに、全然値上がりしていない!
ある日大恩ある叔母の三回忌のお知らせが来ました。
彼女のことを偲びながらお供物を買いに臥牛窯へと向かいました。叔母の好んでいた鷺草のお湯呑と出会い迷わず買い求めました。
ご仏前に羊羹とともにお供えしたところ叔母の家族から雰囲気がよいと大好評を頂きました。天国の叔母より「上出来と」褒められたような気がしています。
家族の絆を確認できた臥牛窯の器に感謝しております。
絵画、写真、陶芸をこよなく愛した兄の影響で、私も陶器の温かい手ざわり、落着いた風合いが大好きです。その思いを満たしてくれる臥牛窯の作品の数々を、日常大切に、そして楽しく愛用しています。これまで長い期間の冠婚葬祭に、友人・知人の笑顔を思い浮かべながら、楽しく寄贈してきました。
臥牛窯の陶器は、他に比べることのできない技と表現を持っています。
自家精製した土や釉薬と、陶器ではありえない技。さらに器の中に時間と空間を漂わせる奇跡の表現。
風が流れる、水がせせらぐ、雲が漂う、鳥が羽ばたく、星がきらめく・・・。
手にとる人の心を動かす世界唯一の技があります。
臥牛窯の代表的なモチーフのひとつが吉祥文様「白鷺」です。
臥牛窯の開窯から約一世紀後、元禄四年(1691年)に諫早藩(現在の長崎市)に彗星のように現れ、その類い稀な表現力と存在感で世の中をあっと言わせた「現川焼」。
しかし多くの謎を残しつつ半世紀ほどで輝きの軌跡を残して、この世から忽然と消失してしまいます。
残された一握りの品は幻の銘陶となり後世への伝説となりました。
その幻となった秘法を求めて二百年以上もの間、人々は幾多の挑戦を重ねてきましたが、誰の夢も叶わず、それは決して再現できませんでした。
この秘法の謎を解き明かし現代に蘇らせたのが12代 横石臥牛(先先代)であり、再現を完全なものに仕上げたのが13代 横石臥牛兄弟(先代)なのです。
繊細な刷毛目や立体的な盛り上げ技法には、生の濡れた状態の素地への加飾が不可欠です。
一般的な磁器の五倍はかかるこの秘術が空間表現や立体表現を可能にする現川焼の最大の秘密です。
- 緑寿(ろくじゅ)
- 65(66)歳 昭和25年(1950年・寅)生まれの方
- 古希(稀)(こき)
- 69(70)歳 昭和21年(1946年・戌)生まれの方
- 喜寿(きじゅ)
- 76(77)歳 昭和14年(1939年・卯)生まれの方
- 米寿(べいじゅ)
- 87(88)歳 昭和3年(1928年・辰)生まれの方
- 白寿(はくじゅ)
- 98(99)歳 大正6年(1917年・巳)生まれの方
還暦という言葉の意味は
生まれた年の干支に還ることをいいます。
60種類の干支を全て経験し、数え年61歳の年に、自分が生まれた年の干支を経験します。
満年齢でいえば、満60歳の誕生日を迎える年が、還暦の年ということになります。
干支(十支十二支)が一周し、元の干支に戻る年ということから、生まれた年に戻る非常にめでたい誕生日ということになり、もう一度生まれ、第二の人生の旅立ちとして盛大にお祝いをします。
昔から還暦のお祝いには赤色のちゃんちゃんこを贈っていました。
魔除けとして、赤ちゃんに赤い衣服を着せる風習と同じで、赤ちゃんに還り新しい人生を迎えることを祝福します。
そんな願いを込めて祝うのが還暦のお祝いです。
一頃は、還暦は、現役引退や定年退職の年と重なっていたため、それと併せたお祝いにすることが一般的でした。
しかし、昨今では60歳はまだまだ現役。
仕事や人生を研磨し、新しいチャレンジを続ける人が多い時代です。
人生の先輩や、ご両親、ご兄弟に敬意と感謝、新たな一歩への応援の意味を込めたお祝が「還暦祝い」となります。
お祝は会席を設けるかどうかで変わってきますが一般的には3万円から5万円が祝いの相場と言われています。
生まれ変わった新たな一歩に、贈る人の心が伝わる記念の品を選んでください。
臥牛窯は元禄時代の現川焼の秘宝を守る全国唯一の窯元です。
真心を込めた手作りの器は大切な方への贈り物、国内のみならず国外の方へも貴方の心が伝わります。
先代「十三 横石臥牛」に師事し、40年あまりの長い時間、その技と感性を磨き鍛え、創窯より412年目の、2014年11月十四代 横石臥牛を襲名いたしました。
受け継がれた伝統の技を未来へと結び、常に新しい創造の風を巻き起こす「臥牛の心」を継承し新しい臥牛窯が歩み始めました。
「日本らしさを大切に」
臥牛窯は元禄現川焼をお手本とする陶器=土モノです。縄文土器の時代から土モノの中に流れる大和魂は西欧の文化とは一線を画します。
臥牛窯の雅な表現は、そんな日本古来の伝統を生活の中に豊かに感じさせてくれます。
メディアで紹介されました
■雑誌新潮社「芸術新潮」2007年6月号
中央公論新社「婦人公論」2007年4月号
都市出版「東京人」2007年5月号
PHP研究所「歴史街道」2007年5月号
インデックスコミュニケーションズ「Wasabi 和沙美」2007年3月号
日経BP社「Priv」2007年3月号
日経BP社「REAL SIMPLE」2007年6月号
日経BP社「JAPAN NOW」2007年5月号
■TV
1998年12月放送 NHK BS-2
やきもの探訪「幻の技を受け継ぐ」
2014年12月放送 テレビ長崎
「412年目の継承」受け継がれる日本唯一のやきもの
2015年2月放送 長崎国際テレビ
「家族のチカラ」長崎・福島 大地とともに受け継ぐ心